腰椎骨折 痛みは一喜一憂
前回、2年過ぎてもなお残る痛みについて書きましたが、そのつづき。
同僚が家庭菜園で作った大根を職場にもって来てくれたのでありがたく頂戴し、電車で家に持ち帰った。大根1本の重さは男手にはそんなに負担を感じないが、通勤時間帯の混雑をかいくぐっての家路に大根一本はきつかった。
そのせいか、夜半から背骨が痛くなった。深呼吸をすると胸の後ろがみしっと痛む。
手は両親指に違和感。左手は小指が痛い。
足は両親指に違和感。
右足は小指からかかとに違和感。
右ひじが痛い。
前日は絶好調だったけど、翌日は数日は絶望的な傷みにさいなまれた。モーレステープを腰、肩、首にはりめくり、それでも足りず、バンテリンを手の甲、指間接、背のあばら骨に塗りこむ。それでも痛い。雨が降っていたこともあって手足が冷たい。こんな時、風呂ほどありがたいものはない。痛みがぐっと和らぐ。なぜなのかわからないが、まあいいか、とにかく痛いときは風呂に限る。
それから2日後、朝起きてみて痛みがないのに気がつく。
そして思う。何が功を奏したのかと。
思いつくのが、アシックスのフィットネス用のゴムバンド。このバンドを用いて腕から肩にかけての運動を繰り返す。20回を休憩をはさみ4セット程度。これで痛みが薄らぐ。
ほかにも、職場で同じ姿勢を1時間以上取り続けないよう、心がける。など
もう少し計画的に取り組めば、良いのかもしれない。
痛みはまだ消えない
階段の落下、腰椎圧迫骨折からちょうど2年がたちました。完治とか順調な回復という言葉の定義はわからないけれど、まったく2年前の体に戻っていないのは確かなことです。残念ですが・・・
骨折したのは、ちょうどおへその後ろ辺りの第二腰椎。そのあたりから腰骨まで、背骨と背筋がこわばっています。我慢できないような痛みはありません。肩こりほどの痛みがあります。
物を拾うおうと腰を曲げたりすれば、背骨がぎこちなく湾曲する違和感を感じます。なぜか、そんなときに食べ終わった鯵の塩焼きの骨が頭に浮かびます。
痛みは肩こりほどでも、ムリは禁物です。たとえば、古紙回収の新聞など重い荷物を運ぶと、3-4日は腰痛と二の腕から手の指先まで痛みと痺れに悩まされます。。足のほうも、土踏まずから親指の先まで痺れが出ます。腰をしっかりまわすような運動を半日ほどやれば、2週間くらいは痛み、痺れが消えません。痛みは湿布をすれば和らぎますが、肩から腰と手足の関節まで湿布を張るので鏡をみると、満身創痍とはこういうことを言うんだな、と妙に納得してしまったりします。
この痛みや痺れに個人差があると思っています。この2年の間にたいしたリハビリをしてきませんでしたので、折れた場所のかばう動作をして他の節を傷めた感じです。
ですから、理学療法士に診てもらいながらしっかりリハビリをやっていれば、痛みはもっと軽減されていたのかも知れません。
こわばった部位ををほぐして、ラジオ体操が普通に、おもいきってできるようになればいいなと思っています。
医療現場でインフォームドコンセントは果たされているか?
<十分な説明と同意>
インフォームドコンセントという言葉を新聞などで目にするようなってからだいぶ時間が経ちます。
日本医師会によれば、インフォームド・コンセントは(医療に関する)「十分な説明と同意」と訳しています。つまり、「医者はあらゆる医療行為においても患者に正確な情報を丁寧に説明し、患者は自分の責任で検査や治療などの医療行為を選択する」ということです。
日本医師会が、医療現場の“あるべき姿”としてこの概念を掲げたことは頼もしいかぎりですが、はたして現場でこのインフォームドコンセントが実行されているのかというと、僕は実行されていない、と考えています。
また、セカンドオピニオンについても同様になかなか現実なものになっていないのが実態でしょう。
<医者の使命>「腰椎圧迫骨折」は、簡単に言ってしまえば、患者の「治癒力」に治療のほとんどを託すわけですが、それじゃあ医者は要らないのかといえば、そんなことはないわけです。
医者は、多くの患者や症例を診て、骨折の状況や痛みの質、また今後の見通しが分るわけで、患者の立場になりこれらを説明することで、患者は不安から解放されて治療に専念できるわけです。
つまり、患者自身の持つ治癒力を高めるためにもインフォームドコンセントは必要だと思うのです。
病状の説明が言葉足らずだったり丁寧さに欠けていたり、あるいは患者からの質問を跳ね除けるような医者であるならば、どんなに手術が上手くても患者からすればノーサンキューなのです。
かえって、現場経験がわずか数ヶ月であっても、研修医の心からのひと言に癒され、涙することもあるのです。
<僕の場合>
僕の場合は残念なことにインフォームドコンセントが成立しなかった例になってしまいました。
救急車でERに運ばれた際に、苦痛にもだえる身で早口な説明を受けたきりで、入院中、主治医から病状や今後のことの説明は一度もありませんでした。
夕食時に病室に来て「大丈夫ね?」と言ってそそくさときびすを返して立ち去ってしまう。ほんとにそれだけでした。ですから自分の病気のことはケイタイで調べました。
「痛いところありますか?」とか、「何か気になることありますか?」とかあっても良さそうだけどそんな言葉がかかることは一度もありませんでした。
<退院後の病状悪化>
そして決定的だったのは退院後の生活における注意事項(禁忌事項)の説明がなかったことです。
この説明が一切なかったことで失敗をしてしまいした。
僕は早く社会復帰をしなければと思い、まったく普通の生活に戻りました。
車の運転さえしました。
しだいに手足の節や神経が痛くなり、腰も鉛(なまり)の注射を打ったような痛みが走るようになりました。
そして退院後3週目の初めての外来時で、退院時よりも腰椎が潰れていることが分ったのです。
思い切りショックでした。退院時より痛みが広がり、強くなってきたわけです。
主治医はレントゲンを見て「あ、潰れちゃった!」と動揺。そして苛立ちながら「骨が折れたんだから家で絶対安静だ。居間で椅子に座る?それが一番悪い。座るくらいなら立っていたほうがいい。とにかく絶対安静なんだ」、というコメントでした。
主治医が動揺すれば事態が呑み込めない患者はその5倍は動揺するわけで、しおれた僕は病院から早々に帰って布団に横になりました。
思うことは、普通の生活をしてしまったことの後悔と、禁忌事項の説明をしてくれなかった主治医への恨みでした。
この後悔と恨みは消えることなく今でも続いていますが、この主治医に関しては、さらに義務違反が続きます。
退院後に骨が潰れた僕は、2回目の外来診察の際、言葉足らずの主治医対策として、生活を送るうえで、して良いこと悪いことを一覧に整理して見てもらうことにしました。
そして2回目の外来。
主治医は、僕の作った一覧表を迷惑顔をして一瞥もしませんでした。
そして「口頭なら1-2項目は(聞いても)いいよ。」とのことでしたので、職場復帰に向けて電車に乗ることはどうかを尋ねたところ、
「骨折したんだよ。そこを分らないと。一日10分程度の散歩はいい。(あとは家の中)」という指示でした。
これではいつになったら職場復帰できるんだと思いました。
しかし、悔しいかな主治医には何も言えずじまいでした。
<患者相談室とセカンドオピニン> ここまでくると、不信感と不安が募り治療に専念できません。 外来ロビーに、病院の基本理念、治療方針とともに、インフォームドコンセントやセカンドオピニンが項目がありましたので、僕はそれを何度も読み直し、思い切って開設したばかりの患者相談室に相談してみました。
僕はつとめて感情的にならず、客観的に事実だけを話して治療に専念するためにも主治医を換えられないか、尋ねました。
<新しい主治医と信頼関係を構築>
医者の素行を病院に訴えることにためらいはありましたが、今では患者相談室に行ってよかったと思っています。
新しく主治医になってくれた方は、手術の腕まえがよく、また温厚な性格で評判が高い方でした。
20分ほどの診療の中で僕の話をうんうんとうなずきながら聞き、僕に質問をし、また過去の病歴などもカルテを見ながら所見を丁寧に説明してくれました。
今度はうれし涙がこぼれました。
やはり、医者と患者の間に信頼関係があり、医者は治療方針を説明し、患者はその内容をよく理解して、そこではじめて健全な治療が成立するのだと実感しました。
<病院の評判>
病院の評判が巷でよく交わされますが、あれは病院というより医者の評価を病院の評判にしているんですよね。そこを気をつけないといけないと思います。
僕の(前)主治医のことで病院を語れば、「患者の話もろくに聞かないひどい病院」になってしまいますが、今の主治医であれば「患者の話を聞いてくれる良い病院」になります。
これからは、評判のいい医師(病院の大小などでなく)を訪ねたいと思っています。
<蛇足>
<診療時間>
ちなみに、患者と話をしない(前)主治医は外来時の診断時間はひとり1分程度。 2時間待っているとこぼしたお婆ちゃんは、テクテクと廊下から診察室に入るのにかかった時間くらい、あっという間にでてきました。 何を診たんだろう。患者を診ないでレントゲンの画像しか見ていないのだろう。
<4か月待ちの診断書>
(前)主治医は、このほか診断書の発行が4か月待ちで事務局職員の中でも有名で、病院も手を焼いているようでした。
骨づくりにかかせない絶対安静
<骨折箇所>
救急車で運ばれた直後の写真
左がお腹、右側が背中。 L1,L2の腰椎(黒い部分)の上の部分が 凸凹なのが分ります。これを潰れたと表現します。 白い陰は、骨折による出血痕です。 背中側には骨髄がはっきり見えます。 ダメージがあると輪郭が鮮明に出ないとのことでした。
左の写真(退院後2週間目)潰れた!
右がお腹、 左が背中。退院にあたり医者から注意がなかったので、普通の生活に戻ってしまったら、骨が潰れてしまいました。とてもショックでした。 L2の上部が潰れているのがわかりますか?
<絶対安静> ERで、第2腰椎圧迫骨折と診断された僕は、ストレッチャーのまま病棟に移されました。
入院生活は、新しい骨が固まり始める大事なときに体を動かさないための措置です。
ベッドから上半身を起こすことは絶対にNO! 例外なし。食事のときも、洗顔のときも、排泄もベッドのうえです。ユウウツな毎日です。
しかし、骨の変形や痛みなどの後遺症で今も苦しんでいる方の話を伺うと、骨折してから1か月くらい、安静が維持できず、普段どおりの生活をしていた人が多いのです。
骨折してしばらくの間は、骨の成分が滲み出て新しい骨を形成する大事時期なので、必然的に活動が束縛されてしまう病院生活は骨にとっては良い環境だと思います。
自宅ではじっとしてなんかできないですからね。
<痛み>
また、痛みは、個人差があるようで、僕はちょっと動かしても激痛が走り、立つことも座ることもできませんでしたが、初めの痛みが伴わない方もいるようで、そういう方が普段の生活に戻り失敗してしまっているようです。
痛みは重要なサインの一つです。仮にそのサインがなかったとしても「圧迫骨折」と診断されたら、入院して安静にすることが「転ばぬ先の杖」だと思います。
<コルセット>
コルセットは、入院後9日めに装着しました。あんがいユックリでした。僕のつけたコルセットは新型で、胸と腰を締め付けるだけで、胴回りすべて覆うタイプではなかったので、窮屈感はなく、夏の暑い時期にもけっこう快適です。
<病院生活を快適にするグッズ>
●携帯電話・・・通話はできないけれどメール、インターネット、ワンセグテレビが使えたので、病院と社会を結ぶ唯一の情報ラインでした。
●マジックハンド・・・子供のおもちゃと馬鹿にすることなかれ。体が動かないベッドの上ではとても重宝します。病院の売店で入手可能。600円ほど
●ルービックキューブ・・・こんなに集中できる時間は一生のうち何回でもないから、入院中に攻略法をマスターできます。
●ナンプレ・・・コスプレと勘違いしてしまうが、頭のボケ防止にはうってつけ。時間も忘れる。
基礎知識
基礎知識
激痛地獄をさまよう中を、医者から「第二腰椎圧迫骨折ですよ。」と診断されても、頭の中は、????で一杯でした。きっと誰でも同じですよね。医者は自分の土俵でしか話さないから聞いても理解は深まらない。しかし、自分の中で起こっていることはとても気になる。
僕が病院、自宅で調べる中でとても参考になった サイト、ブログを紹介します。
① 第二腰椎ってどこ?
② 圧迫骨折は普通の骨折と違うの?
③ 普通はどんな症状なの?痛みは?
④ 治療はどうするの?
⑤ 完治までどのくらいかかるの?
こんな、素朴だけどとても大事な疑問に、しっかり答えてくれています。
それぞれのサイトマスター様、この場をお借りしてお礼申し上げます。
稲毛整形外科 http://e-seikei.com/sports742.html
⇒ 症状と治療法について、実例をもとに簡潔明瞭に説明してくれています。JR稲毛駅西口(海側)より徒歩1分
痛み緩和教室 疼元痒舎 http://tohgensyousya.com/sikkan6.html
⇒ 初期の痛みから慢性痛まで、実例をもとに痛みを解析
アイリス アイリス http://web.kyoto-inet.or.jp/people/irisiris/freestuff/bone_name.html
⇒ 第二腰椎の位置を教えてくれました。へその斜め上当たりかな?
イラスト一覧>脊柱>側面
ヤフー知恵袋
質問 L3腰椎圧迫骨折の完治までに、どのくらいかかりますか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1237802062
私の骨折日記 http://www4.plala.or.jp/naomic/youtui.htm
たりらりらーん 第二腰椎圧迫骨折日記PART1http://namie.seesaa.net/article/9496515.html
転ばぬ先の杖
今回、総合病院をかかりつけ医にして、何かにつけて診てもらってきたことが幸いした、と思っている。
こんなことが直ぐに起きるとは思ってもいなかったが、6年前に転居してきた時から近所に、いわゆる”かかりつけ医”を探していた。町医者も考えたが、待ち時間はかかるが総合病院は内科だろうが耳鼻科だろうが、診てもらえば僕の体の情報が共有されると考え、電車で3つ目の総合病院を僕のかかりつけ医とした。
だから、病院は直ぐに受け入れてくれた、と考えているし、実際の診察では、3年前に撮ったレントゲンの画像と比較して骨の損傷具合を確かめることもしていた。
これから先、僕のデータがさらに蓄積されれば、老後の備えも万全というもの。安心して暮らしていける。
転ばぬ先の杖とはこういうことかも知れない。
6月10日 階段から転落
放り投げられたような激しい痛みが背中を襲った。言葉が出ない。口から出るのはうめき声だけ。
家人に頼み救急車で近くの総合病院のERへ。
<ERでの検査>
①腰周辺のレントゲン ②触診 (両足の感覚に麻痺や差異がないか、力が入れられるか。また、立てるか)
<診断の結果>
次の2点について説明を受ける。
1 レントゲンの結果から ⇒第一及び第二腰椎が圧迫骨折している。
2 レントゲンと触診から ⇒脊髄に損傷はない。
<治療計画>
入院しての絶対安静。手術の必要はなし。
ワケ
1 腰椎圧迫骨折の治療が医者により異なり、医者の診たてによっては取り返しが付かない場合もあるような ので、骨折して不安な日々を送っている方々に、僕の骨折体験を通して、良い治療、悪い治療を伝えたいこと。
2 職場復帰までどのくらい時間がかかるのか、病状の経過と見通しを伝えたいこと。
この2点である。
なお、このブログを書き始めるのは骨折してから2か月が経った8月5日である。
そこで、骨折した6月10日にさかのぼって書き始めることにする。
<僕のこと>
年齢 54歳 今年はコルセットをして誕生日を迎えた。気持ち沈没!
職業 サラリーマン
運動 特にしていない。
<5W1H>
いつ 平成22年6月10日 午前4時半
どこで 自宅の階段で
どうした 寝ぼけて階段から転落
病名 第2腰椎圧迫骨折